議論と主張

 blogは、他のいろいろなソースにリンクを張り、それに対する自分の意見を書くもので、blogの語源もWebLogを公開してコメントを付けるような話からきていると聞きました。
 説もいろいろあるかもしれませんし、引用じゃなくうろ覚えで書いてますので、ちょっと曲解もあるかもしれません。
 日記を公開するところというイメージが先にあるのですが、普通の(リアルの)日記でも人に公開するような習慣はなかったわけで、導入時はそうだったのかと思わなくもありません。


 で、本題。
 いろいろな記事やニュースに対して、自分なりの意見や見解を持つということはありますが、自分のリソースが足りないって自覚してることと、どうしても視点を斜めから見る(人が考えていない視点はどれだろうと考えてからものを一通りの視点で考える)癖があるので、あまり本人が信用していなかったりします。
 ですので、人と話をして、軌道修正するのがちょうど良いのです。これは議論ですね。
 blogに感想や意見を書くのは、それ自体はもう変わることのない主張となります。ですので、どの人も十分練りこんだ意見を多く見かけますし、一度出してしまった意見をあとから訂正する人もほとんどいません。


 だから、blogに意見を上げるのに抵抗を感じてるんじゃないかと思うこの頃です。いやあ、その場その場で書きたいことはたくさんあるんですけどね。


 あと、人の意見の練りこみ方について。
 自称理性的という方々でも自分の望む結論あり気で物事を考え、それを論理で強度補強している方がいます。
 私は、理性的な方というのは、論理の間違いを指摘されて(条件が変わって)別の結論が出るようになったら、その新しい結論に従う方と思うのですがどうでしょう。
 自分の望みと結論は別物であり、最終的に望みを優先しますので、理性的な生き方してないなと自分を思うわけです。買い物なんて特に・・・