妥協の産物以外の何物でもない上に意味がない

 「コピー10回、妥協の産物だが歓迎」――Intel著作権担当者
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/31/news076.html


 コピーが1回だろうが10回だろうが100回だろうが、孫コピーが出来なければ何も変わらないと思います。
 保存媒体は年月と共に劣化していくものであり、DVD−Rの寿命の目安は10年〜100年といわれています。HDDはどれくらいでしょう?使用頻度や環境・製品にもよるのでしょうが、DVDに比べればずっと短い方だと思います。


 そして、媒体が劣化してくるたびにそれらを入れ替えるのが保存という方法ですが、孫コピーを禁止していてはこれが出来なくなるわけです。


 それっていいのでしょうか?


 まあ、TV局が無料?で流している放送情報なんだから、それらの管理・保持はTV局がやっているからいいといわれるかもしれないけど、たとえば「100年後に某ライブラリーが火災でデータが読めなくなりました」と言ったとき、それで日本の放送文化に空白の年数が出来たりしていいのでしょうか?
 放送情報が一企業の資産でしかないとするならば、このように管理・制限をするのはかまいません。
 ただ、もし放送を大衆文化とするならば、大衆側で保存・管理・継承していく環境は必要なのではと思います。