いいひと

 あまりこの辺の考えを人に話すことはないのですが、
私は「あの人はいい人だよ」と言う発言を聞くと、「あの人は私(発言者)にとって都合のいい人だよ」、
と翻訳します。


 「都合のいい」というと、あまりイメージの良い言い方にはなりませんが、なにがどういいかはその都度で違いますので、大きく括るとこんな言い方になります。
 ここではむしろ「私にとって」という方が重要になります。
 人の評価というものは主観的なものでしかなく、それを聞かされる側にまでは適用しないということです。
 その人が相手をどう思っているかには参考になりますが、自分が相手を評価する際は改めて考えます。
 まあ、そうしてみると高かったり低かったりと違うこともままありますが、このような主観的なことまで同意を取る必要はないと思ってます。
 ただ、人に対する評価というのは、参考情報と言うより、同意を求められるときに聞かされます。


 むしろ気になるのは発言者です。
 私もこのようなニュアンスで言うことはありますし、自分の判断に損得勘定が介入することはよくあることです。
 ただ、自分の損得勘定を抜いて、客観的に人を評価できる人に会えれば、その人の普段の発言も信用置きます。
 はっきり言えば、「あの人は私(発言者)にとって都合はわるいけど、いい人だよ」と言える人。
 いい人と言うものを客観的な基準として持っていて、さらに自分の主観や立場と区別して発言できる人、必要とあれば話し相手の立場に立って、いい人かどうか言う判断を下せる方でしょうか。
 まあ、かなり少人数と言うのが所感です。


 私は人間が出来てませんので、多々、主観で発言することはありますが、自分の発言が翻訳できるものなのか本当の意味での発言なのかぐらいは、意識しながら発言するようにしています。
 若干、物言いが変わっているようです。